2020年5月10日(日) 主日礼拝

復活節第5主日 自宅礼拝 

(住吉教会の皆さんは、下記の順序で各自、自宅にて礼拝を行ってください。讃美歌は、歌える範囲で歌うか、または歌詞を読みます。 録音はありません。 )

郵送版(PDFファイル)  週報(PDFファイル) (クリックすると開きます。お使いの機器で開けない場合は、下記の順序で礼拝してください。)

<黙祷>

<招詞> 一ペトロ2:9

<讃詠> 545上

<主の祈り> (讃美歌564番参照)

<交読文> 33  (詩146篇)

<讃美歌> 24

<聖書> ヨハネによる福音書14:1-12

(聖書朗読箇所は、「主日と祝祭日の聖書日課」にもとづいています。)

<祈り>
全能の神様、御子イエス様の復活によって、わたしたちに新しい希望を与えてくださいましたことを感謝いたします。
しかし、わたしたちはこの世の道を歩み、あなたの教えから遠ざかっていたことを御前に告白します。
あわれみ深い神様、わたしたちをお赦しください。(沈黙)
父なる神様、あなたは贖い主イエス様を通してご自身をわたしたちに示してくださいました。主は人々によって退けられましたが、あなたによって尊い命の石となられました。わたしたちもこの方を崇めることによって、王の系統を引く祭司、聖なる国民、あなたの栄光が輝く神殿となることができますように。
わたしたちの心に聖霊を注ぎ、命のみことばを心に受け入れることができるように整えてください。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 298

<説教>
「道、真理、命」  牧師黒田浩史

今日は復活節第5主日です。先週から3回にわたり「聖霊により信じる人といつも共におられるイエス様」をテーマとして、ヨハネ福音書から聴いています。自宅礼拝も、まだ暫く続くことになりましたが、家に一人でいても、イエス様が共におられることを思い起こし、この機会を利用して信仰を深めていきたいものです。
その信仰とは、イエス様が「わたしを信じなさい」(1節)と言われている信仰ですが、「その方に信頼を置き、自分を委ねる」という意味で言われています。なぜ信頼が必要かと言えば、「心を騒がせるな」とあるように、私たちの心は不安や心配でいっぱいだからです。「騒がせる」の原語は、「湖が波立つ」というような意味で、何をしても心が落ち着かないような状態を表します。実はイエス様ご自身も、これからいよいよ十字架に向かわれるという時、心を騒がせられました(ヨハネ12:27, 13:21参照)。しかしそのイエス様は、十字架を通って復活の命に到達されました。この方に信頼し、身を委ねることにより、私たちも心騒ぐ状態から、まことの平安に満ちた復活の命に到達することができるのです。
ですから、「わたしは道である」(6節)と仰せになる「道」とは、十字架を通って復活に至るイエス様のご生涯のことです。信じる私たちも、地上の生涯でさまざまな苦しみを体験し、決して平安な毎日ではなく、心騒ぐこともありますが、イエス様の後に従うならば、復活の喜びに入れられるのです。イエス様は十字架の苦しみを通って「新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださった」とあります(ヘブライ10:20)。この道を通って天国に入るのです。ガリラヤからエルサレムへの旅は、天にまで至る旅であった、と以前にも申しました(ルカ24:13-35参照)。
「真理」や「命」(6節)も言葉は違いますが、イエス様のことを言っています。「真理」は「人間としてのまことの生き方」という意味にも取れますから、まさに友のために命を捨てたイエス様の生き様です(ヨハネ15:13参照)。「一粒の麦は、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)とも言われていますので、死ぬことが命、という聖書の逆説的な教えです。道、真理、命は、こうしてイエス様のご生涯の中で繋がっています。
「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(6節)とあるように、イエス様のような生き方、すなわち友(他者)のために生きるのでなければ、旅の最終地点である天国には行けないのです。
しかしこれは難しいことではなく、イエス様に信頼する人ならば、誰でも歩むことのできる道です。「わたしの父の家には住む所がたくさんある」(2節)とは、信じさえすれば誰でも救われるという意味で、恵みによる救いのことです。
旧約時代には王や祭司などの特別に選ばれた人が神様に近いと考えられていましたが、新約時代になり、「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(一ペトロ2:9、本日の招詞参照)とあるように、イエス様を信じるならば、誰でも王や祭司のように特別に選ばれた人とされるのです。祭司、特に大祭司は、神殿の奥にある至聖所という場所に入ることができます。神ご自身が臨在されると考えられていた場所です。普通の人でもキリスト者になれば、神ご自身がおられる天のエルサレムに住むことができるのです(黙示録21:22-27参照)。
ですから、イエス様を信じる者は、イエス様より「もっと大きな業を行うようになる」(12節)とあります。イエス様がなさった奇跡より大きな奇跡を行う、という比較の話ではなく、罪人に過ぎない人間が、十字架の恵みにより罪を赦され、イエス様と同じ道を歩んで天のエルサレムに住むようになるという神様の偉大な業のことです。
これらは聖霊の働きです。5月31日のペンテコステ(聖霊降臨祭)に向かって、聖霊を願い求めて歩んでまいりましょう。

<祈り>
神様、復活のイエス様は、信じる者に天のエルサレムに至る道を開いてくださいました。心騒ぐ毎日の生活の中にあっても、イエス様に信頼して身を委ね、イエス様の生き方に倣って歩むことができますようお導きください。
新型コロナウイルスの禍が一日も早く過ぎ去り、また再び共に教会堂に集うことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 356

<献金> (後日、教会で献げるための用意をしてください。)

<頌栄> 543

<黙祷>