2020年5月24日(日) 主日礼拝

復活節第7主日(主の昇天) 自宅礼拝 

(住吉教会の皆さんは、下記の順序で各自、自宅にて礼拝を行ってください。讃美歌は、歌える範囲で歌うか、または歌詞を読みます。 録音はありません。 )

郵送版(PDFファイル)  週報(PDFファイル) (クリックすると開きます。お使いの機器で開けない場合は、下記の順序で礼拝してください。)

<黙祷>

<招詞> エフェソ1:19-21

<讃詠> 545上

<主の祈り> (讃美歌564番参照)

<交読文> 13  (詩46篇)

<讃美歌> 6

<聖書> 使徒言行録1:1-11

(聖書朗読箇所は、「主日と祝祭日の聖書日課」にもとづいています。)

<祈り>
全能の神様、復活のイエス様は天に上げられ、わたしたちに聖霊を遣わしてくださいました。
しかしわたしたちは、この世の力に寄り頼み、あなたの力である聖霊に信頼していなかったことを御前に告白します。
全能の神様がわたしたちをあわれみ、永遠の命に導いてくださいますように。(沈黙)
父なる神様、今日、主の昇天を記念して讃美をささげる、あなたの教会を喜びで満たしてください。御子キリストが天に上げられたおかげで、わたしたち人間も、あたたのもとに行くことができるようにされました。御子の体の枝とされたわたしたちが、頭であるキリストの後に従うことにより、ついに天に上げられることを、切に願い求めて生きることができますように。
わたしたちの心に聖霊を注いでください。聖書と説教のみことばを深く理解することができますように。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 159

<説教>
「主の昇天」  牧師黒田浩史

4月12日のイースター(復活祭)から始まった復活節も、50日目である来週の5月31日、ペンテコステ(聖霊降臨祭)で終わります。今日は、主の復活から40日目の出来事である主の昇天の御言葉を聴いています。イースターから数えて40日目は、復活節第6木曜日(先週の木曜日)ですが、現代では多くの教会が、今日の復活節第7主日に主の昇天を祝っています。
イエス様は十字架に掛けられる前、「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」と仰せになっていました(ヨハネ16:7)。なぜなら、イエス様が天に昇られる代わりに、地上に聖霊が降り、この聖霊のおかげで、復活のイエス様は信じる人といつも共にいてくださるようになったからです。
復活の後、イエス様が天に昇られる場面は、ルカ福音書の最後の場面(ルカ24:51)と使徒言行録の最初の場面(使徒言行録1:9)に記されています。使徒言行録はルカ福音書の続編なので、これら二つを書いたルカは、イエス様の昇天をこうして強調しています。ガリラヤからエルサレムに向かうイエス様の旅は、十字架と復活で終わるものではなく、天に至る旅だったのです。イエス様に従って一緒に旅をしてきた弟子たちも、天に至る旅に参加したのです。その旅は、イエス様の昇天で終わったわけではなく、使徒言行録のこの後の場面へと続いています。地上に聖霊が降って教会が誕生し、教会の一員として宣教の働きを続け、やがて遂には天にまで至るという旅なのです。
私たちも人生の途上でイエス様と出会い、この旅に加わりました。今は旅の途上です。やがて、イエス様のように天に上げられる日が来ます。それまでは、使徒言行録の弟子(使徒)たちのように主を証しして生きるのです。
弟子たちは、この旅がまだ長く続くと思ってはいなかったようで、旅の終わりは「この時ですか」と尋ねていました(6節)。「イスラエルのために国を建て直す」とあるように、当時はローマに占領されていたユダヤの国に、再び王様が立てられて、国が独立するようなことを考えていたようです。
しかしイエス様は、「父の約束されたものを待ちなさい」と仰せになり(4節)、弟子たちの上に聖霊が降ることを予告されました(8節)。教会の誕生(使徒言行録2:1-4)の予告でもありますが、信じる人が洗礼を受けて聖霊を受けることでもあります。「聖霊による洗礼を授けられる」(5節)とは、キリスト教の洗礼を受けて、聖霊に満たされることを意味しています。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」とあるように(8節)、聖霊は神様の力です。この力は、「わたしの証人となる」とあるように(同)、イエス様を証しするための力です。洗礼を受けてクリスチャンとなった人は、イエス様の教え(「互いに愛しないなさい」など)を行うことによって、イエス様を証しするのです。
それは、当時の弟子たちが考えていた「イスラエルのための国の建て直し」ではなく、新しいイスラエルである教会の建設です。教会の誕生の後、大勢の人々が洗礼を受けて教会に加わり、クリスチャンの数が増えていくことです(使徒言行録2:41)。
さらには、信じた人は聖霊を受けるので、神様の力によって生きるようになります。神様の力によって生きるのと反対の姿が、「金や銀」すなわちこの世の力によって生きることです。聖霊に満たされたペトロとヨハネは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう」と言って、足の不自由な人を癒しました(使徒言行録3:1-10参照)。私たちは同じような奇跡の業はできなくても、神様からの力によって、隣人を愛したり、人を赦したり、辛いことを忍耐したりすることができるのです。
弟子たちは、いつまでも「天を見上げて立っている」のを止めて(11節)、教会の誕生そして建設のために、前へ向かって歩んでいくことにしました。まず最初にしたことは、熱心に祈ることでした(使徒言行録1:14)。私たちも聖霊を豊かに受けることを願い、来週のペンテコステ(聖霊降臨祭)に向けて、熱心に祈りをささげつつ、この週を過ごしましょう。

<祈り>
神様、復活のイエス様は天に上げられましたが、信じる者に聖霊を遣わしてくださいました。私たちも信じて洗礼を受け、聖霊に満たされて、新しいイスラエルの一員として、御国の建設のために働くことができますように。日々の生活の中で主の教えに従うことによって、主を証しして生きる者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 361

<献金> (後日、教会で献げるための用意をしてください。)

<頌栄> 543

<黙祷>