2021年2月7日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。
説教の録音はこちらです(礼拝が終わってから掲載)。

<黙祷>

<招詞> 一コリント9:16-17

<讃詠> 545上

<主の祈り>

<讃美歌> 67

<聖書朗読> マルコによる福音書1:29-39

<祈祷>

全能の神様、私たちは今、あなたを礼拝するために、あなたによってここに集められました。
とうといみことばの恵みにあずかる前に、私たちは犯した罪を認め、全能の神と兄弟姉妹の皆さんに告白します。
わたしたちは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
全能の神が、わたしたちをあわれみ、罪を赦し、永遠の命に導いてくださいますように。
(沈黙)
神様、あなたは父としての愛によって、わたしたちの苦しみのもとに来てくださり、苦しみを御子の復活と一つに結んでくださいました。困難な中にあっても、わたしたちに清い心と強い力をお与えください。救いの希望の光に照らされて、苦しみの神秘を兄弟姉妹たちと共に分かち合うことができますように。
聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 162

<説教> 「癒されて生きる」  牧師 黒田浩史

今日のマルコ福音書の場面も先週の続きで、先々週(マルコ1:14-20)、先週(同1:21-28)、そして今日の箇所は、イエス様の宣教活動が一日の場面に凝縮されています。先週は会堂すなわち公の場面でしたが、今日は個人の家庭が場面です。イエス様は、私たちの公私を問わず生活の全ての領域において、救いの御業を遂げてくださる方なのです。

最初の弟子となったペトロ(本名はシモン)とアンデレの家での出来事です。ペトロのしゅうとめが熱を出して寝ていましたが、イエス様は癒してくださいました。

「手を取って起こす」(31節)という動作は、イエス様の手が触れると、イエス様から神様の力が流れ込んで来る様子を表わしています。他の場面でも、12年間も病気で苦しんでいた女性が、イエス様の服に触れると、イエス様から力が流れ込んで来て、癒されました(マルコ5:27-30)。

先週は、悪霊を追い出す場面でした。今日は、病気を癒す場面です。これらは、現代人にとっては別々のことのように思われますが、イエス様の時代の人々にとっては、区別がありませんでした。どちらも神様と人とを引き離し、人と人とを引き離し、人を苦しめる悪の仕業なのです。イエス様は、悪によって苦しんでいる私たちを、造られた本来の姿に回復させるために地上に来られらのです。

ですから、「熱は去った」(31節)というのは、「悪霊が追い出された」(先週の場面)と同じことなのです。

さて、癒していただいたペトロのしゅうとめは、「一同をもてなし」ました(31節)。聖書の原語では、「仕える」という語が使われており、本来は「食卓で給仕をする」という意味ですが、へりくだって人に奉仕する姿を表わしています。イエス様は他の箇所で「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、全ての人の僕になりなさい」と仰せになりました。イエス様ご自身も「仕えられるためにではなく、仕えるために」、人々にご自身の「命を献げるために」来られたのでした(マルコ10:43-45)。

イエス様を信じる私たちも、救われたこの命を、自分のために生きるのではなく、他人や社会の役に立つように生きるのです。ペトロのしゅうとめが一同を「もてなした」すなわち「仕えた」という姿は、イエス様の弟子になっていった姿です。愛と奉仕に生きる人へと変えられた姿です。年を取って体が弱くなった人でも、人のため、社会のために祈ることはできます。

ところで、「悪霊はイエスを知っていた」(34節)とあるので、イエス様の正体すなわち神の子であられることを知っていたようです。しかし知っているだけでは、救いにはなりません。私たちも、聖書やキリスト教の知識があるだけでは、喜びや平和がないのと同じです。イエス様を信じ、この方と深い交わりや結びつきを持ってはじめて、救われた喜びに満たされるのです。イエス様も「わたしにつながっていなさい」と仰せになりました(ヨハネ15:4)。

イエス様ご自身も、天の父なる神様と深い交わりや結びつきを求めて、朝早くに祈られました(35節)。この日だけのことではなく、イエス様は毎朝こうされていたのでしょう。祈りの言葉は書いてないので、祈りは文言や内容というより、神様と二人きりの時間を過ごすことが大事だということです。イエス様から力が流れ込んで来て癒しが起こったように、私たちも祈りの時間を過ごすことにより、神様からの力が流れ込んで来て、今日一日を生きる元気をいただくのです。

イエス様の力をいただき、この身をイエス様そして人々に献げて生きる者になりましょう。

<祈り>

神様、御子イエス様は、わたしたちの生活のあらゆるところに救いの力を注いでくださいます。イエス様の弟子とされたわたしたちが、あなたの力に満たされて、救われたこの身をあなたと人とに献げて生きる者となれますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 285

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>