2021年2月21日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。
説教の録音はこちらです(礼拝が終わってから掲載)。

<黙祷>

<招詞> 一ペトロ3:21

<讃詠> 545上

<主の祈り>

<讃美歌> 1

<聖書朗読> マルコによる福音書1:12-15

<祈祷>

あわれみ深い神様、あなたは失われたものを捜して救うために、主イエス・キリストをお遣わしになりました。
わたしたちはあなたから離れ、あなたの道からさまよい出ていたことを告白します。
傲慢な心で道を踏み外し、しみがあるのにきよいと思い、無に等しい者なのに偉い者であるかのように思い込んでいました。
わたしたちをあわれみ、罪をお赦しください。
わたしたちの救い主イエス・キリストによって、正しい道に連れ戻してください。(沈黙)
神様、あなたはいつの時代においても、人類との契約を新たにしてくださいます。あなたのみことばを聴くことができるよう、わたしたちの心を整えさせてください。今年も迎えた四旬節のこの季節、まことの回心を行うことができますように。

聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 333

<説教> 「荒れ野の誘惑」  牧師 黒田浩史

先週の水曜日からレント(四旬節)が始まりました。今年のイースター(復活祭)は4月4日ですが、イースターのお祝いを準備する40日間の季節です。元来はイースターに洗礼を受ける人のための準備期間として発達しました。既に洗礼を受けた人も、洗礼の恵みを思い起こし、イエス様の死と復活にあやかって、古い自分に死んで、新しく生まれ変わる機会としましょう。

今日のマルコ福音書の御言葉は、イエス様が40日間、荒れ野で悪魔から誘惑を受けられた場面です。この40日間が、四旬節の40日間のもとになっています。

イエス様が荒れ野に行かれたのは、霊に導かれてでした(12節)。この霊(=聖霊)は、直前の場面で、イエス様が洗礼を受けられた時に天から降って来たとあります(マルコ1:10)。聖霊は私たちの人生のあらゆるところで、私たちを導いてくれています。神様の恵みを受けて喜びに満たされるときも、試練に遭っているときも、聖霊は私たちを神様のもとへと導いているのです。

しかしこの世には、そのような私たちを苦しめようとする「悪魔」がいます。「サタン」とも呼ばれ、ヘブル語(旧約の言語)で「告発する者」、「敵」を意味し、人を神様から引き離そうとする存在です。ですから、ここでの誘惑とは、神様から離れるように誘うという意味です。

「主の祈り」でも「われらを試みにあわせず、悪より救い出だしたまえ」と祈りますが、「誘惑があっても、そこに陥ることのないように守ってください」という意味です。伝統的には、誘惑を受けることは罪になりませんが、誘惑を受け入れた結果、何らかの悪い行いを実際にしてしまうと罪になると理解されています。

誘惑の内容は、他の福音書では、所有欲、名誉欲、支配欲の三つの誘惑のことであると書かれています。モノが欲しい、人から褒められたい、人を支配したいという誘惑です(マタイ4:1-11、ルカ4:1-13参照)。

これらの誘惑を受けている間、イエス様は野獣と一緒におられました(13節)。この姿は、「狼は小羊と共に宿り…牛も熊も共に草をはみ」という旧約の預言を思わせます(イザヤ11:6-9参照)。天使に守ってもらえるならば、神様を信じる人に対して、何ものも危害を加えることはできない、という終末に実現するまことの平和が既に実現しているというのです。

あるいは、「主はあたたのために、御使い(=天使)に命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる」ともあります(詩編91:3-15参照)。この世にいる限り、危険はまだ完全に去ってはいないが、しかし天使によって守られている、という姿です。

この言葉は、混乱した現代社会に生きる私たちにも当てはまります。不条理なことが起こったり、思いがけない災難に見舞われたりするので、「どうしてこんなことが起こるんだろう」と憤りたくなります。しかし、どんなに難しい現実の中にあっても、神様は天使を通して私たちを守ってくださっているのです。

さて、40日間の荒れ野の誘惑が終わり、イエス様はいよいよ宣教活動を始められました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)とのお言葉は、イエス様が語られた教えを要約したものだと言われています。「神の国」は神様のご支配のことですから(「国」は聖書の原語では「王の支配する領域」の意味」)、まさに厳しい現実の只中で、天使たちによる神様のご支配が始まっているというのです。

「悔い改め」は、聖書の原語で「向きを変える」という意味があり、心を神様の方へ向ける「回心」を意味します。四旬節は祈りに専念する季節ですから、日常の営みを停止し、一旦立ち止まって、進むべき方向を定めるのです。これまでの歩みがズレていたならば、方向を修正し、神様の方へ向けて方向転換をするのです。僅か1度のズレでも、1年経つと、随分違うところへ来てしまいます。この季節、一日一日を大切に過ごし、今年もまた一歩、救いの完成に近づいてまいりましょう。

<祈り>

神様、四旬節の恵みの季節を感謝いたします。イエス様が悪魔からの誘惑の中にあっても、天使に守られてまことの平和を保たれたように、私たちも厳しい現実の中にあっても、あなたに守られて、あなたに向かって信仰の旅路を進むことができますように。この季節、自分の生き方を振り返って、方向の修正をすることができますようお導きください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 249

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>