2021年2月28日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。
説教の録音はこちらです(礼拝が終わってから掲載)。

<黙祷>

<招詞> ローマ8:34

<讃詠> 545上

<主の祈り>

<讃美歌> 2

<聖書朗読> マルコによる福音書9:2-10

<祈祷>

神様、わたしたちはあなたによって数えきれない恵みをいただいているにもかかわらず、あなたのことを忘れ、この世の欲の誘惑に負けていたことを告白します。
恵みに対して相応しく応えようとせず、自分勝手に生きていました。
わたしたちをあわれみ、罪をお赦しください。
わたしたちの救い主イエス・キリストによって、正しい道に連れ戻してください。(沈黙)
神様、あなたはわたしたちの祖先を信仰へと召し出し、わたしたちに福音の光の中を歩む恵みを与えてくださいました。あなたの御子に聞くことができるよう、わたしたちの心を開かせてください。わたしたちの人生の中に、十字架の神秘を受け入れ、あなたの御国の栄光に入ることができますように。

聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 344

<説教> 「神のような姿」  牧師 黒田浩史

40日間の長い季節である四旬節(レント)は、今日で第2週目です。4月4日(日)に復活祭(イースター)を迎えるまで、信仰の旅路をご一緒に歩んでまいりましょう。

四旬節のテーマは、イエス様の十字架と復活です。死と受難を通って、新しい命に生まれ変わることです。毎週の聖書箇所は必ずしも受難の場面ではありませんが、イエス様のご生涯全体が受難の歩みでしたから、福音書の至る所に受難のテーマが散りばめられています。

今日の場面は「山上の変容」と呼ばれ、福音書の中でも少し変わった場面です。イエス様は主だった弟子3人を連れて、山に登られました。この山は、伝統的にはタボル山(575m)とされてきましたが、ヘルモン山(2,814m)であったという説もあるそうです。(山頂まで登られたかどうかは、定かではありません。)

山に登られた目的は、十字架の道は死で終わるものではなく、その向こうに必ず復活があることを、弟子たちに教えるためでした。イエス様は今日の直前の場面で、十字架と復活の予告をされましたが(マルコ8:31-38)、弟子たちはまだ信じられなかったからです。

イエス様は弟子たちに対し、「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました(同8:34)。そのお言葉の通りに、弟子たちこの後、命を懸けて福音を宣べ伝えていきます。それは、文字通り十字架の道です。しかし、その向こうには復活が待っていることを、今日の場面で前もって示してくださったのです。

山の上で光り輝く姿になられたイエス様のお姿は、復活の姿を前もって示しており、イエス様に従って自分の十字架を背負う私たちも、やがて同じ姿にされるというのです。

山の上で登場したモーセとエリヤは(4節)、旧約を代表する人物で、旧約の第1部である律法と第2部である預言書を表しています。すなわち旧約の全体です。彼らが話していた内容は、他の福音書では「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」でした(ルカ9:31)。イエス様の十字架の道は、旧約時代からの神様のご計画だったのです。イエス様を信じる私たちが、その後に従って自分の十字架を背負い、復活の栄光に達することも、旧約時代から、また天地創造の前からの神様のご計画だったのです(エフェソ1:4参照)。

弟子の一人ペトロは、「ここに仮小屋を建てましょう」と提案しました(5節)。「わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」と感じたからです(同)。この山は、地上の世界から遥かに離れた、天国の世界を一時的に表しているので、十字架の苦しみが無いどころか、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」と言われる天のエルサレムの世界(黙示録21:4)を、前もって体験させてもらったことになります。

地上の生涯は、嘆きや労苦に満ちています。誰でも苦しいことは嫌なもので、楽をしたいと願うものです。しかし、キリスト教の信仰があっても無くても、生きている限り、苦しみは避けられません。思いがけない災難に見舞われることもあり、地上では涙が絶えません。

けれども、そうした労苦は、辛いだけで終わるものではなく、その向こうには復活が待っていることを、イエス様は今日の場面で見せてくださったのです。

ゴールが見えないと、辛い中でも頑張ろうという気力は失せてしまうものです。しかし最終目的地が見えていると、辛いことでも案外、耐え忍ぶことができるものです。

パウロは、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると、取るに足りない」と語っています(ローマ8:18)。地上の人生で忍ぶ苦しみは、イエス様の十字架の姿にあやかることであり、将来に約束された天のエルサレムでの幸せな命は、イエス様の復活の姿にあやかることなのです(同6:5)。

雲の中から「これに聞け」という父なる神様の声が聞えました(7節)。「イエス様の後に従って、自分の十字架を背負って歩みなさい」という意味です。

一同は山を降りて、再び地上に戻りました(9節)。これからエルサレムの十字架へと向かう旅が始まります。私たちも礼拝を終えて、厳しい現実の中へ戻りますが、天のエルサレムを見失わずに、40日間の四旬節の旅を続けてまいりましょう。

<祈り>

神様、四旬節の恵みの季節を感謝いたします。イエス様は十字架の苦難の前に、復活の栄光の姿を一瞬垣間見させてくださいました。イエス様を信じ、その後に従って自分の十字架を背負う私たちも、厳しい現実世界の中で、天のエルサレムの輝きを見失わずに、信仰の旅を続けることができますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 355

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>