2021年3月7日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。
説教の録音はこちらです(礼拝が終わってから掲載)。

<黙祷>

<招詞> 一コリント1:22-25

<讃詠> 545上

<主の祈り>

<讃美歌> 3

<聖書朗読> ヨハネによる福音書2:13-25

<祈祷>

神様、わたしたちは御子イエス様の十字架という高価な代価によって買い取られ、あなたの子どもとされたにもかかわらず、恵みに相応しく応えて生きることができませんでしたことを御前に告白します。
わたしたちをあわれみ、罪を赦し、永遠の命へと導いてください。(沈黙)
わたしたちの主である神様、聖であるあなたの御名を讃えます。わたしたちの心をあなたの教えに従わせてください。十字架の知恵を与えられて、自分中心な罪深い思いから解放され、聖霊の賜物に心を開き、あなたの愛を宿す生きた神殿となることができますように。
聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 269

<説教> 「新しい神殿」  牧師 黒田浩史

四旬節(レント)も第3週目を迎えました。今日から3回にわたり、イエス様の受難と復活をテーマに、ヨハネによる福音書から聴いていきます。

今日の場面は、「神殿清め」と呼ばれる箇所です。年に一度の過越祭を祝うため、イエス様はエルサレムに行かれました。神殿の境内には、「牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たち」がいました(14節)。神殿に礼拝に来た人たちは、献げ物の動物を家から持ち運んで来なくても、ここで買うことができました。ところが、神殿の通貨は旧約時代からの「シェケル」と呼ばれる通貨なので、当時人々が日常で使用していたローマやギリシアの通貨と両替する必要がありました。動物を高く売ったり、両替の手数料を取ったりなど、礼拝者の純粋な信仰心を利用してお金儲けをしていたのです。

イエス様はこれらの商売人たちに対して憤り、羊や牛を境内から追い出し、両替人のお金をまき散らし、その台を倒し、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と仰せになりました(15-16節)。

イエス様は、弱い人や罪を悔い改める人に対しては優しく慈しみ深い方ですが、悪や不正に対しては厳しい態度を取られるのです。

弟子たちはこのイエス様のお姿を見て、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という詩編の言葉を思い起こしました(詩編69:10)。この「熱意」は、「わたしは熱情の神である」から、他の神々を礼拝してはならない、と言われている「熱情」と同じ言葉です(出エジプト20:5)。エルサレムの神殿そのものは、人の手が作った建物であり、キリスト教においては、もはや必要でなくなります。しかしイエス様は、礼拝をささげるためにやって来た人たちの信仰の思いを大事にされたのです。

エルサレムの神殿は、数十年後にローマによって破壊されます(紀元70年頃)。同じように、地上の全ての物質はやがて過ぎ去ります。しかしイエス様が神殿を清められたように、私たちも同じような「熱意」すなわち熱心な信仰の思いで、生活を整えたり、家の中を掃除したりして、私たち自身を清めることができるのです。

とはいえ、神殿そのものはやがて滅びます。イエス様は、御自分の体こそまことの神殿であると仰せになりました(21節)。神殿は、神様を礼拝するところですから、神様と人とが出会う場所でした。建物としての神殿の代わりに、まことの神殿であるイエス様こそ、神様と人とが出会うところです。イエス様を信じる人にとり、イエス様は聖霊によって、いつどこにいても共にいてくださいます(マタイ28:20)。

それゆえ、イエス様を信じる私たちの体が、神殿とされたのです。パウロは「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい」と語っています。

「栄光を現わす」ということで、今日の場面の直前でも、イエス様は水をぶどう酒に変える奇跡を行われ、「その栄光を現わされた」とあります(ヨハネ2:11)。この御業のことをヨハネ福音書は「しるし」と呼び、今日の場面の神殿清めの御業も、奇跡ではないのですが「しるし」と呼んでいます。

「しるし」は、イエス様また神様を指し示す何ものかのことで、地上の物質に過ぎない水やぶどう酒、清められた神殿なども、「しるし」としての役割を果たしました。同じように、朽ち行く体に過ぎない私たちの地上の体も、熱心な信仰の思いすなわち「熱意」をもって、毎日の生活を過ごすならば、神様を指し示す「しるし」となることができるのです。

人間的に何か優れたものを持っているからではなく(一コリント1:26参照)、心の中に燃え上がる信仰があり、その信仰にもとづいて少しでも身を清めて生きようとするならば、私たちの体の中に聖霊が宿ってくださり、新しい神殿とされるのです。

四旬節は、洗礼の恵みを思い起こし、再度イエス様の十字架と復活にあやかり、古い自分に死んで新しく生まれ変わる季節です。新しい神殿として、神様の前に身を献げて生きる者となりましょう。

<祈り>

神様、四旬節の恵みの季節を感謝いたします。イエス様はエルサレムの神殿を清めることにより、信仰の熱心な思いを大事にされ、私たちも身を清めてあなたの前に神殿とされて生きる道を示してくださいました。この季節、信仰の炎を再び燃え上がらせてください。あなたを思う熱意のうちに、古い自分に死んで新しく生まれ変わることができますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 210

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>