2021年1月24日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。
説教の録音はこちらです(礼拝が終わってから掲載)。

<黙祷>

<招詞> 一コリント7:29-31

<讃詠> 545上

<主の祈り>

<讃美歌> 26

<聖書朗読> マルコによる福音書1:14-20

<祈祷>

全能の神様、私たちは今、あなたを礼拝するために、あなたによってここに集められました。
とうといみことばの恵みにあずかる前に、私たちは犯した罪を認め、全能の神と兄弟姉妹の皆さんに告白します。
わたしたちは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
全能の神が、わたしたちをあわれみ、罪を赦し、永遠の命に導いてくださいますように。
(沈黙)
父なる神様、あなたは御子において御言葉と賜物を豊かに与えてくださいました。今すぐにも悔い改めて、心から福音を信じる必要を悟らせてください。わたしたちの生活によって、まだ信じようとしない人たちや、あなたから遠く離れている人たちに、唯一の救い主を告げ知らせることができますように。
聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 122

<説教>

「全てを捨てて従う」  牧師 黒田浩史

今日からマルコ福音書の記載順に、イエス様のご生涯をたどりながら御言葉を聴いていきます。今日の場面は、イエス様の宣教活動の最初の最初です。
前半(14-15節)では、洗礼者ヨハネが捕えられ、人々の前から姿を消し、ヨハネと入れ替わるようにイエス様が登場されます。旧約の時代が終わり、「時は満ち」とあるように、いよいよイエス様の十字架と復活による救いの時代が始まったのです。
イエス様は「悔い改め」を呼び掛け、向きを変えて神様へと立ち返るようにと説かれます。生きる方向を定めることでもあります。この世の諸々の活動へ向いていた心を、キリスト者の最終目的地である天のエルサレムへと向けるのです(先週の説教を参照)。
そして、「神の国は近づいた」の「国」は、聖書の原語では王様の支配する領域の意味ですから、神様の支配、すなわちイエス様の十字架と復活による救いが始まったことを告げられます。
イエス様のこの短い言葉は、宣教活動を通して語られた教えの要約であると言われます。
そこで、後半(16-20節)の場面に移りますが、ここでイエス様に従った4人は、既にこの教えを聴いて知っていたのではないか、とも言われています。初対面なのにいきなりイエス様に従うのは、不自然に感じられるからです。
最初にイエス様の弟子となったこれらの4人は、漁師でした。イエス様の方から彼らに近づき、「わたしについて来なさい」と呼び掛けられました。一般には、弟子入りする際には、弟子になりたい人が師匠の元に行き、熱心さや技量を示して許可を得るのが普通かもしれません。しかしここでは、その逆です。イエス様すなわち神様が私たちを選ばれるのです。
その選びの基準は、人間的な能力や熱心さの度合いではありません。パウロも、初期の教会の信仰者たちのことを、「人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」と語っています(一コリント1:26)。使徒たちは、「無学な普通の人」とも呼ばれています(使徒言行録4:13)。このことは旧約時代も同じで、イスラエルの民が選ばれたのも、「どの民よりも貧弱であった」が、彼らに対する主の愛のゆえに救いの御業をなされたのでした(申命記7:7-8参照)。
4人は、イエス様の方からの呼び掛けに対し、「悔い改めて、福音を信じる」という生き方に何か感じるものがあったのでしょう。「人間をとる漁師にしよう」と言われても、この時点では何のことか分からなかったに違いありません。それは、神様に「召し出されると、行き先も知らずに出発した」アブラハムに似ています(ヘブライ11:8)。
本人たちには分からないながらも、ここには召し出し(召命)の目的があります。人々が救われるために働くことです。キリスト教信仰は、自分だけが救わればいいとは考えません。漁師である彼らが仕事や故郷を捨てたのは、他者の救いのためでした。
他者の救いのためということで、旧約の関連箇所として、ヨナ書では悪に満ちていた都ニネベの人々について、神様は彼らが滅びるのを惜しいと思い、預言者ヨナを遣わされ、ヨナは悔い改めを呼び掛けました(ヨナ3-4章参照)。
このイエス様による召し出しと派遣は、緊急のものでもあります。パウロは「定められた時は迫っている」と語り、これはイエス様の「神の国は近づいた」と同じように、新しい時代が始まったことを告げています。「この世の有様は過ぎ去る」ので、「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです」(一コリント7:29-31、本日の招詞)。今日の4人の弟子たちのように捨てるべきものを脇に置いて、キリスト者の最終目的地である天のエルサレムを目指して進むのです。
私たちも、イエス様の「わたしについてきなさい」との呼び掛けに応え、救いの完成を目指して歩みましょう。

<祈り>
神様、最初の弟子たちがイエス様の呼び掛けに応えて従ったように、私たちも捨てるべきものを捨ててイエス様に従わせてください。自分の救いだけでなく、世の多くの人々の救いのためにそれぞれの場所へと遣わされ、まことの救いと喜びを伝えることができますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 257

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>

2021年1月17日(日) 主日礼拝

自宅礼拝資料はこちらです。週報はこちらです。ファイルが開けない場合は、下記の順序に従って礼拝してください。

<黙祷>

<招詞> 一コリント6:14

<讃詠> 545下

<主の祈り>

<讃美歌> 24

<聖書朗読> ヨハネによる福音書1:35-42

<祈祷>

全能の神様、私たちは今、あなたを礼拝するために、あなたによってここに集められました。
とうといみことばの恵みにあずかる前に、私たちは犯した罪を認め、全能の神と兄弟姉妹の皆さんに告白します。
わたしたちは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
全能の神が、わたしたちをあわれみ、罪を赦し、永遠の命に導いてくださいますように。
(沈黙)
神様、あなたは教会と礼拝と兄弟姉妹の中に、あなたが確かにおられるしるしを現わしてくださいました。わたしたちがあなたの御言葉を空しくすることなく、あなたの救いのご計画を悟り、あなたの御国の使徒であり預言者となることができますように。
聖霊の光によってわたしたちの心を照らしてください。
聖書朗読と説教を通してあなたがお語りになる真理のみことばを深く悟ることができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 298

<説教>

「最初の弟子」  牧師 黒田浩史

今週の場面から、いよいよイエス様の宣教活動が始まります。四旬節と復活節の季節(2月17日~5月23日)に一時中断しますが、待降節の直前(11月21日)まで、イエス様のご生涯を辿りながら御言葉を聴いていきます。今年は主にマルコ福音書から、そしてときどきヨハネ福音書からも聴きます。
先週の場面では、イエス様は洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネはイエス様のことを「世の罪を取り除く神の小羊」と呼び(ヨハネ1:29)、今日の場面では、自分の二人の弟子をイエス様のもとへ送りました(35-36節)。
イエス様は二人に「何を求めているのか」と問われます(38節)。これはヨハネ福音書でのイエス様の第一声です。
この言葉により私たちも、心の奥底で本当に求めているものへと意識を向けさせられます。
「どこに泊まっておられるのですか」(同)との二人の答えは、イエス様の問いと噛み合ってないように見えるかもしれません。しかし「泊る」の語は、ヨハネ福音書のキーワードであり、「とどまる」とか「住む」とも訳され、イエス様と信じる私たちとの深い結び付きを表す言葉です。つまり、二人が本当に求めていたのは、イエス様と深い交わりを持ち、イエス様と一体になることだったのです(ヨハネ14:23、15:1-10参照)。
二人は「その日は、イエス様のもとに泊まった」(39節)のですが、これは単にイエス様が泊っておられた宿屋に一緒に宿泊しただけでなく、これから信じてイエス様と深く結ばれるようになることを意味しています。
イエス様は「来なさい」と言って、二人をご自身のもとに招かれました(39節)。私たちも、イエス様のこの招きに応えて、聖書の御言葉を通してイエス様との交わりに入れられ、信じてイエス様と深く結ばれるのです。
多くの人は、生きる目的が曖昧なまま何となく生きています。人生の大きな目標は定めず、その日暮らし、取りあえずその場その場で出来ることを行って生きています。
しかし、キリスト者にとっては、人生の最終目的地があります。それは天の故郷、天のエルサレムです(ヘブライ12:22、黙示録21:9-17参照)。信仰の祖先アブラハムも、まだ明確には分からないながらも、神様の呼び出しに応えて、この天の故郷を目指して旅に出発しました(創世記12:1-4、ヘブライ11:16参照)。
そこへ至る道は、アブラハムたちのような旧約時代の信仰者にはまだ明確ではありませんでした。しかし新約の時代になり、それはイエス様を信じることであるとはっきり示されたのです。イエス様を信じ、この方と深い交わりを持ち、一体とされることにより、地上の生涯を終えた後、ついに天の故郷へと招き入れられるのです。
イエス様と繋がる方法は簡単です。教会に集い、聖書の御言葉を聴き、信じて洗礼を受け、毎日の生活においても聖書を読んで祈り、少しでもその教えに従うことです。聖餐にあずかることによっても、イエス様が私たちの心と体の中に入って来てくださり、イエス様と一つに結ばれます。
パウロは「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿である」と語っています(一コリント6:19)。この「神殿」は聖書の原語では単数形であり、一人の信仰者の体が一つの小さな神殿であるというよりは、キリストの体である教会を意味しています。信仰者は一人一人でバラバラに信仰しても、イエス様と一体にはなれません。教会というキリストの体、一つの体に結ばれることにより、イエス様と結ばれるのです。
私たちが心の奥で本当に求めているのは、イエス様と結ばれて一体となることです。教会に集えない人も、毎日聖書を読んで、天の故郷を目指して生活しましょう。

<祈り>
神様、今週から教会堂において、そして自宅において、それぞれの場所で礼拝を守ることになりました。どこにいても、聖霊によって御子イエス様をまことの救い主として信じ、イエス様と一つに結ばれて、父であるあなたとも一つに結ばれることができますように。聖書の御言葉を通して教えられた救いの道を通って、信仰の祖先アブラハム、そしてイエス様の弟子たちの後に続き、天の故郷を目指して歩むことができますようお導きください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

<讃美歌> 333

<献金> (自宅礼拝の場合は、教会へささげる献金をご用意ください。)

<頌栄> 539

<黙祷>